バガバッドギーターと阿修羅的な人

ナマステ!マウントヒル ヨガ スタジオ山坂です。

 

昨年からのzoom座学で「バガバッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済」を読んでいます。

残り50ページほどになって、終わりが見えてきました。

 

9年前、インドへはじめて行った時、

グルジに15章の原文を何度も読まされました。

サンスクリット語のアルファベット読みの本です。

意味は知らなくていいから、ただ音を発せよ、と。

 

意味、知りたい。一体、何と書いてあるのか?

バガバッドギーターって何だ?????

 

古代インドの「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」というインドの2大叙事詩、というと、歴史で聞いたことがあるのではないかと思います。

その一つ「マハーバーラタ」の中の一編がバガバッドギーターです。

戦記なんだけど、現在では、世界で読まれる哲学書となっています。

あの、マハトマガンジーが、枕元に置いていたのだそうです。

エドガーケイシーは読むべき本は?という質問に

バガバッドギーターと答えたのだとか。

 

帰国して、本屋さんへバガバッドギーターを探しに行きました。

バガバッドギーターというタイトルの本は何冊かあります。

 

サンスクリット→英語→日本語のより、サンスクリット→日本語の方が元の意味に近いかなーっと

いうのと、上記の本は、原文は抜粋ではありますが、インドの神々、社会背景、仏教的観点などの解説がついているので、これなら読める。と思ったからこの本

「バガバッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済」を選びました。

他にある、原文の日本語訳の本は、さっぱりわからんのですよ。

 

原文だけなのに、田中間玉さんのオレンジの本はすごかった。

こちらは、原文全文。

言葉の美しさと、後書きでノックダウンされました。

意味はわからんよ。笑。だけれども、魂が揺さぶられる感が。憧れの世界がそこにあった。

 

そう、魂について書いてある。

ここが好きっていうとことはたくさんありますが今日は、こちらを紹介します。

 

「人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、主体は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く。」(2.22)

 

「自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。

しかし自己を制していない人にとって、自己はまさに敵のように敵対する。」(6.6)

 

このようなことが書いてあります。

 

それから、「バガバッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済」を何度も何度も読みました。

半年前にはさっぱりなんのことかわからなかったところに、ハッとしたり、するもんです。

そんなようなことを9年続けています。

 

ヨガのポーズをすること、座学でこのような哲学やヨガの思想を学ぶことは

私たちの、毎日の変わらぬ日常をよくしていくためのものです。

古代も現代も未来も、人は人です。環境は全く異なっていても、人は人。

おんなじ作りをしている。

頭もおんなじ。

 

マウントヒル ヨガ スタジオで行うヨガのポーズの行い方を

古典といった人がいたけど、

古典でオッケー。

それが真っ直ぐに、ヒトに効くんです。

身体の安定は頭の安定である。

 

ヨガは自己顕示欲を強くするものではありません。

認められたい、と誰もが思う。

素直に思うはいい。

しかし、それを他人に強制したり、認められるだけのために頑張るのは阿修羅的。

 

座学では、先週から阿修羅的な人々、というところを読んでいます。

誰にでもある、その部分に必死にしがみついて生きるのか、

その部分があることを観察している自分でいるのか、

大きく違います。よ!

 

 

 

 

座学で、初参加の方には、頑張って理解しようとせず、ぼーっと聞いといてください。

そのほうが、感覚で掴めるから。

 

理解しようとすると、今の自分の理解力でどうにかしようとする。

その頑張り、まずこれをやめる。

私には、これしかない!これがすべてだ!にしがみつくと、それも阿修羅的。

 

 

それを、やめても大丈夫なの。

誰でも、ギーターを読んでいると、ヨガをしていると、いつの間にか、ふっとわかる時がくる。

ただ、それをしている。読んでいると、いつかきます。

きたときに、わかる。それまでは、わからない。

 

 

わからないから、とりあえずやってみる。

わからないけど、なんか気になるから、とりあえずやってみる。

 

これだ。

 

 

次回、6月20日のzoom座学はP246〜です。

 

 

では、今日もよい1日を!

Hari Om

 

 

 

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