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スワミ バレンドゥ ギリ師について

ギリ師について
インド政府

インド政府人材育成機関MHRD所属スワミ バレンドゥ ギリ ヨグパラシクシャン&アヌサダン サンサタン ラジャスタン ジャイプル 創始者、当スタジオオーナー山坂良子の師であるスワミ バレンドゥ ギリ師について
スワミ バレンドゥ ギリ師(以下スワミジ)は、かつてリシケシのムニーキレティ地区にあるラマシュラム図書館で、アートマン(真我)と経典の研究に従事していました。

スワミ バレンドゥ

以前は、時折インド各地へ放浪の旅に出るほかは、シュリー コテーシバマハデヴ寺で、極めて質素な生活を送っていました。またコテーシバ周辺で行われていた、近隣の住民から死者が出ると何頭かの牛を森に放つという生贄の儀式の廃止にも尽力しました。この習慣化された生贄の儀式には魂を放つという意味もありましたが、牛たちはコテーシバの深い森の中で道に迷い、虎の餌食となるのが常でした。当時は一般的な儀式で、民衆はもちろん寺の高僧でさえも、この儀式の惨たらしさを理解していませんでした。スワミジはこの生贄の儀式の廃止を唱え、牛を放った飼い主のもとへ、その牛を連れ戻したこともありました。そのためスワミジは酷い扱いを受けることもありましたが、地域と彼の努力が徐々に実り、この伝統は撤廃されました。コテーシバはガンジス河にぐるりと囲まれた地域で以前は釣りも盛んでしたが、スワミジの働きかけにより、この釣りの習慣も廃止されました。

1990年、スワミジはシヴァ神とチャンドラバダニ神から、「子どもたちにヨガを教えなさい」というお告げを授かりました。何があっても後ろを振り返るなと 命じられた通り、ヨガ教育に邁進しました。 1993年2月、インド観光局などが主催するインターナショナルヨガウィークにおいて、スワミジの最初の生徒で当時8歳だったヴィディアタ ラナ コティは 大変名誉ある賞を受けました。

1994年、同じく生徒のカンチャラカインチュラも多くの大会で受賞。翌年スワミジは、彼女たちと同様に優秀な生徒を50人ほど育成しました。 ところが主催者側の理不尽な理由で、彼らが競技会に参加できない事が多々ありました。観光局担当者の熱心な働きかけも効果はなく、スワミジは この状況に絶望しジャイプ-ルへと旅立ちました。 2003年、スワミジは既に様々なアサナ(ヨガのポーズ)に熟練した少年少女に対し 、ナディショダン(血管の洗浄方法)の指導を開始しました。またナディショダン、プラナヤマの研究につとめました。その研究グループの責任者には サリタ ラナ(『実践的ヨガ教育』著者)が就任しました。

2005年、スワミジと彼の研究グループは「ペースが速く、理論的に欠陥があるプラナヤマの手法を廃止」するための活動を開始しました。インド最高裁に 公益訴訟を起こすため35ページにも及ぶ審議書を提出し、デラドゥンのプレスクラブで会議を開きました。その様子はインド大手のアムール ウジャラ紙に掲載されました。翌年にはジャイプールのロータリークラブで、「ペースが速く、理論的に欠陥があるプラナヤマの手法を廃止」するための大規模な会議が開催。インド大手パラターカル紙が詳細な議事録を残しています。

2007年、クンブメラのステージで行われたサリタ ラナによる実演が、ヒンドゥスタンタイムス紙で掲載。残念ながら、「ペースが速く、理論的に欠陥があるプラナヤマの手法を廃止」する活動を支援する内容ではありませんでしたが、インド各地から問合せが集まり、ハリヤナ州では アーユルヴェーダの一部として認定されることになりました。活動が思うように進まないなか、2009年スワミジは、メディアで訴え始めました。インドのTV番組に出演すると、何千もの電話が寄せられ、賛同の声は大きく広がりました。

2011年、スワミジの仕事の大部分を支えてきサリタ ラナがモーリシャスの良家へ嫁ぎ、彼はサリタ ラナの著書『実践的なヨガ教育』の監修を開始。2年後の2013年、その本はヒンディー語と英語の2カ国後で出版されました。正式な一般販売はこれからです。

現在スワミジは、リシケシを拠点とし活動しています。彼の目的は、全世界の若者の意識をヨガの実践的な側面のみならず、理論的な側面へと導くことです。またスワミジは、これまでたくさんの支援の申し出があったにも関わらず、自分のアシュラムを持っていません。彼には、施しとしての金銭を受取らないという主義があります。これまでも常に無料でヨガを教えており、これからもそうし続けることでしょう。

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